Archive for the ‘雑誌撮影’ Category

クロエ・カーダシアン「Celeb Life」へクラシックビューティー

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2010年4月、雑誌「Celeb Life」のためクロエ・カーダシアンの撮影を行いました。この撮影は、私がケニアでの1ヶ月にもわたる旅に出る前の最後の撮影だったため、鮮明に記憶に残っています。

 

私にとってクロエとの仕事は常に楽しみでいっぱいです。それは素晴らしい写真が撮れるということはもちろん、それ以外にも彼女自身が非常に面白く、寛大で、また現実的な性格の持ち主だからです。この撮影はクロエとの初のファッション写真でしたので、特に楽しみにしていました。天才スタイリストモニカ・ローズはいつも通り見事な衣装を手がけ、マリオ・デディバノビックは完璧なメイクアップを施してくれました。

 

ロケーションは 「Maison 140」というビバリーヒルズの美しいブティックホテルでした。この場所は今までで最も小さいスペースで、私にとってもユニークな挑戦となりました。私の普段のセットアップでは撮影できないほどのスペースです。ですがそれでも、リードアシスタント・クリスチャン・エイリアス、アシスタント・チェリー・ガードナー、デリック・エスクリッジ、インターン・アーシャ・キャットリングを率いる優秀なSlickforceはいつも通りの活躍を見せてくれました。

 

完成写真、クロエの期待以上に活躍し、エネルギーに満ちた表情を写真に出してくれたことに非常に嬉しく思っています。間違いなくクロエのこれまでの写真の中でも一番だと言えるでしょう。

 

デリック・エスクリッジはプロダクションスティールにて素晴らしい 働きを見せてくれました。

 

Slickforce アマルフィ海岸に大集合 SHOW イタリア!

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世界を旅し、クリスタル色の水、完璧な気候、歴史的な建造物を持つ場所での撮影は写真家にとっての大きな夢でしょう。そのため、SHOWの出版社から新星スターローラ・ドレの海外での撮影を依頼されたとき、私はイタリアを提案できることに非常に幸せでした。

 

ここ数年間の間に、イタリア旅行のためには2008年の歴史チャンネルにおいての地底都市の撮影をはじめ、多くの口実を考えてきました。 それからというもの、6回の行き来を繰り返し、その都度イタリア語の向上にも励みました。そして一度この雑誌のコンセプトが掲げられてから、私はすぐさまプロデューサーモードへと突入しました。

 

 アマルフィ海岸はその美しい景色と並ぶほど、古い世界をイメージさせる雰囲気も世界的に知られています。撮影に充分な時間が得られないことは承知していたため、私は他の撮影スタッフよりも1週間早く現場に向かい、ローマでの撮影スポットや証明器具の偵察を行いました。本当はフルスケールでのSlickforce撮影を行いたかったのですが、アメリカから全ての重器材を持ち込むことは不可能でした。撮影場所を決めてからは、ロサンゼルスから前回のヨーロッパでの撮影も共に行ったベスト中のベストメンバー、メイクアップアーティスト・ゲイビー・ラモス、ヘアースタイリスト・アル・イングラム、リードアシスタント・クリスチャン・エイリアス、衣装スタイリスト・ダイアナ・チャンを呼び寄せ、地元のドライバーと共に大きなバンもハイヤーしました。私達はソレントの小さな海岸の街に7つの小屋を借り、そこで合計5泊しました。

 

そしてついに大量の器材が運び出され、私はようやく撮影に集中することができました。普段の仕事場の撮影器材とほとんど同じものを使用することが出来たため、照明のセットアップに問題はありませんでした。 それでも私が一番誇りに思えたことはカプリのビーチでのロケーションです。カプリは小さな島(船を着けるドックや港もない)であるため、モーターボートを出来る限り島へ近づけ、そこから全ての器材を運び出すことになりました。そしてその器材を空気注入式のイカダに積み込み、私達は海に飛び込み、なんとか島へ上げることが出来ました。これは間違いなくかつて最も厳しく、同時に最も楽しい撮影を経験できた日でした。

 

撮影現場では、 ライトを岩に吊るし、空中に浮かせ、また動くボートにも括り付けました。クリスチャンは私がここからも撮影したがっていることを知り、私達全員が水の中や、岩の上で作業を行っている間に、浮かんでいるファイアーワイヤーとパソコンケーブルのためリグを作成し、島で準備しました。優秀なスタッフ達が普段通りの体勢で撮影しているのですが、みんな水着を着たり、水中にいるこの写真をみると笑みがこぼれます。これがその全ての写真家たちが望むショットを撮影したときの写真で、二度と忘れることのないワンシーンです。

 

かけがえのない撮影チャンスを与えてくれたSHOW、ローラ・ドレ、そしてこんなにも素晴らしい舞台裏写真を撮影してくれたクリスチャン・エイリアス、ダニエラ・ゲレーロ、ハイデン・フォニックス、スティーブン・フェラーリオ、J.P・モニトーラ、本当にありがとうございました!

 

ビダ・ゲラ After Dark カバー写真 #100!

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Vida gets smokin' hot for our 100th Cover!

これまで常に私はビダとの撮影を楽しんできました。あまりにも自然なため、時には働いているということさえ感じないこともあります。彼女はそれほどのプロフェッショナルです。彼女は彼女の仕事をこなし、私は私の仕事をこなす。そうして私達は今まで1000回の仕事をともにしてきました。そのため今回彼女の雑誌出版社(今では彼女は自分のマガジンに自らタイトルをつけています)が今回の「after dark」というコンセプトを持ち私に連絡してきた際には、今までと何か違うなという感じがありました。

 

私はいつもビダだけでなく、他のすべてのモデルもスタジオやアウトドアの光の下での撮影を行っています。 ある時、1冊のナイトショット特集の雑誌にて技術的なクリエイティビティを求められることがありました。そこで私は以前使い古した映画撮影技術書が詰め込まれているカバンを開き、「夜の撮影」に関しての全ての書籍「煙霧機」「シルエット」「風景画」などを引っ張り出しました。

 

初日、私達はロサンゼルス のハイランズクラブを貸切り(雨がしとしとと降る日で、アシスタント、アシュリーはエスカレーターを滑り落ちることに)、撮影を行いました。閉館1時間前までは撮影は順調に進めることができました。カバー写真の撮影(スモークの中のキャバレー)を行っており、私達の煙霧機が煙感知器を狂わせる事態を巻き起こしてしまいました。もちろんLAFDには真剣に謝罪しましたが、どうしてその夜もクラブは閉館することはなく営業を続けたのかという疑問も残りました。

 

2日目、私達はスタジオシティを絶景とともに確保することに成功しました。ここのオーナーは…エキセントリックの表現が適切でしょう。この10月の冷え込む時期に私はビダに冷たいプールへと入るように強要しました(非情ですよね。承知しております)。その割には私の一番気に入ったショットはプール外での下着姿の1枚でした。アシスタントにバックグラウンドにスモークを作るように指示していましたが、強風が続き、すぐにスモークは飛ばされてしまうという状況が続きました。それでも強風の中に待機させ続けると、突然風邪が止み、スモークも停止しましたが、今回は霧が濃すぎてビダの姿が見えないという事態に。とりあえず、笑いのネタにもと試しに1枚撮影してみたところ、なんとも素晴らしいショットで一目惚れしてしまいました。なんとか彼女のシルエットを捉えており、また白い光に包まれています。マジック!

 

撮影中はそんなこと一切知りはしませんでしたが、実はこのカバー写真が私の100枚目の表紙となる撮影でした。そろそろ私のキャリアも振り返るためには充分なものとなってきていることもあり、こういった記録は私にとって、 一度立ち止まり、振り返って、そしてさらなる挑戦に向け再調整する素晴らしい機会でもあります。

 

フラッシュバック: 2008. 9. 28 – SHOWCase #2

SHOWCase 2 - Jesikah Maximus & Jessica Burciaga

Scorchers in the desert

プロダクションショット: SHOWCase #2は私がプロデュースする第4弾のフルマガジンとなりました。SHOW出版社もまさに私と同様に砂漠での撮影に興味があったようなので、私達はSHOWCase #1の続編を前編から60日以内で撮影を行いました。

 

私が映画撮影技師という バックグラウンドを持っていることを知っている方には、私がここまで現地撮影に興奮していることもそれほど不思議には思われないでしょう。というのも、撮影大好きなフォトグラファーであれば、毎日スタジオで撮影していと思う人なんていません。これはもう犬を家の外に放ち、好き放題走らせるようなものです。そのため、SHOWが盛り上がり続けるにつれて(一切途切れることなく)、SlickforceStudioからできる限り遠く離れた場所で撮影しようとしている自分がいました。

 

私は砂漠の一部(後にUltimate Graveyardとなる) を購入しましたが、なかなかその地に時間を費やしてはいなかったため、まだまだカメラを取り出す準備は整っていませんでした。そこで、Club Edという砂漠の中でも一番のお気に入りのスポットをDP に選びました。ここでは、マルティン・ローレンス、ティム・ロビンズをはじめ、ロブ・ゾンビによる「マーダーライドショー2」、「ナッシングトゥルーズ」など多くの映画撮影現場としても選べれてきた地です。

 

私が砂漠での撮影がここまで好きな理由は、まるで自分自身がA-game の世界に飛び込んだかのように思わせてくれるからです。水も無く、電力も無ければ、レストランも無いため、非常にタイトな撮影が求められます。私達はジェネレーターを持ち込み、もちろん超優秀なアシスタント達による撮影チームは一日中Antelope Valley 周辺での撮影に張り付いた状態でした(アシスタントのチェリーは当日のフライトまでの時間も迫っていました。チェリーごめんなさい!)。私は時々大規模な撮影で多くの宣伝などを得ることもありますが、一度も、最小限に抑えようと考えたことなどありませんし、私のスタイルではありません。私はこれまで、マイケル・ベイ、ジェームス・キャメロン、アントニオ・バーグラス、ハーブ・リッツらからディレクターやフォトグラファーとして常に多大な刺激を受けてきましたから。

 

SHOWCase #2のモデルらは遊び仲間のジェシカ・ブルシアガ、スーパースターモデル、ジェシカ・マキシマムスです。そこで私のチャプターフォルダーは「Jes²」と名づけました。彼ら二人とはこれまで数え切れないほどの雑誌を通じて仕事を行ってきました(J・マキシマムスと私はちょうど1年前のこの日はプエルト・リコでShow「In Paradise」の撮影を行っていました)。そのため、彼らがどれほど素晴らしいモデルかということも知り尽くしており、彼女らも私に完璧な信頼を置いていました。これはとても重要なことで、モデルがカメラマンを信頼していれば、彼らも本当に全力を尽くしてくれます。

 

彼女らは二人ともクレイジーな美体を持っており、J・マキシマムスが真っ赤に燃え上がるような髪で現れたのを見たときには、まるでコミック写真を撮るかのように 撮影をしようと決めました。私は彼女らをガスポンプの上でひざをつき、バケツの水を自らに注がせたり、トラック上を這わしたり、地面で転がらせたりなどを求めました。みなさん、この雑誌は本当に素晴らしいものになりました。ここまで私がイメージしたものが完璧に雑誌として現実に現れたものは、私が撮影してきたものでも初めてのことです。100ページにもわたる雑誌でこのような感想をもつことはそう簡単にはできません。そして、撮影時間は長時間(15時間)にわたり、関係者全員が疲れ果ててはいましたが、この撮影は私にとって過去最高に面白い撮影でした。恐らく2008年のうちでもトップ3には入る日でしょう。この日は私にとって、時に思い出として振り返り、そして子どもの頃に夢見た本当にしたいことを実現できたと感じることができる、他にない一日でした。

 

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フラッシュバック: 2008. 2 – ロゼリン・サンチェス Maxim カバー

Roselyn Sanchez - Maxim Feb 2008

Maxim en Espanol の編集者フアン・ロトゥーロに2月号の表紙にロゼリン・サンチェスの撮影を依頼されたときは本当に心がワクワクしました。というのも、ロゼリンはどう見ても世界一の美女の一人でもありますし、これまで何度も彼女の優しい性格についても耳にしていました。そして、彼女を使って撮影に失敗することなどまずなさそうでした。

 

Without a Trace女優(またはその編集者)に失礼のないよう、ニューススタンドはとてつもなくセクシーかつ、それでも上品なものに仕上げられました。結果的に、Maxim en Espanolは常にそのアメリカ版のものよりも、セクシーに仕上げられるようになりました。

 

大都市、ロサンゼルスの メヤン・シアター(今ではクラブとして有名)を撮影に向けて予約しました。メヤンの建物が素晴らしい背景となり、またサンチェスの旅行気分に答えるのにも充分な役割を果たしました。

 

カメラの前でも極めて自然な ロゼリンは常に地上で唯一のスーパースターそのものでした。彼女は彼女自身の撮影チームを使うことをリクエスト(私は私のチームのことを知り尽くしているため、新しい人々と働くことは常に新しいもの加えるチャンスです)しましたが、私も先月キム・カーダシアンのスタイリングにあたった、ジェニー・リッカーをスタイリストとして推薦することができました。

 

私はフアンに限らず、アートディレクターの オスカー・サンドラ(何となくいつもアートディレクターと仲良くなってる気が…)などMaxim のスタッフのみなさんと仲良くなることができました。彼らのおかげで、雑誌に載せる写真の選び方について多く学ぶことが出来ましたし、喜ばしいことに、私が選んだイメージは表紙も含め、全て雑誌に掲載されることになりました。彼らによると写真についてはロゼリンの承認を得る必要があるとのことでしたので、私は(緊張しながらも)彼女に私の横に座り写真選んでくれるかと尋ねました。そして彼女がイエスと答えたときには嬉しさのあまり固まってしまいました。

 

ロサンゼルススタジオオフィスに座り、ロゼリンと私は各写真へと目を向けていきました。そして彼女はほぼヌードに近い表紙のイメージにまでサインしてくれました。その後私達は2時間程その場に座り続け、仕事や彼女の婚約の話しについて語り合いました。ここまでしっかりしたクライアントは彼女以外に記憶がありません。

 

表紙はまさしく私が考えていたものが できあがり、今年一の最優秀セレブカバーの誕生です。悲しくも、この雑誌は彼らの最も高い販売数を誇る雑誌の一つではありましたが、この2刊後にMaxim en Espanolは廃刊になってしまいました。(彼らは今Maxim Mexicoに姿を変え、Espanol のカバーをMexicoへと変更したユニークなタイトルとして出版しています。)

 

ロゼリン・サンチェスは私の2年間の Maxim en Espanolの撮影の中で最も素晴らしいカバーでした。

 

フラッシュバック:2007,08,17- キム・カーダシアン@エジソンバー

2007年8月、マガジンワールドから2年半、私は美しい女性の撮影への評価を獲得してきました。その年、キム・カーダシアン以上に美しく、話題に溢れた美女はいませんでした。

 

Coexistenceマガジンとの短期間契約を交わしたとき、彼らのゴールは中東女性の素晴らしいパーソナリティをメジャーなメディアへ紹介するというもので、その 中でも一番の期待がキムでした。彼女はエンターテイメント産業で言う「IT美女」でした。友人の友人ではありますが、キムの親しい人に連絡を取ることに成功し、その後面会の許可が出たときには私の心は飛び跳ねていました。私は彼女を砂漠(サプライズ!)にでも連れて行きたかったのですが、彼女の事務所からそんなことはありえないとの連絡を受けました。近場で、簡単に終わらせるようにと案内されました。

 

ファッション雑誌Skid Row Princess でも行ったように、私は美しい女性と、美しくないもの、廃れた場所などのコントラストが大好きです。私はすぐに廃墟や、錆びれた建物でのモデル撮影を行える、そういった忘れられた地域に住むカメラマンたちを密かにうらやましがっていました。ロサンゼルスでは全てが、… …新しく、ボロボロです。私たちは最終的に、1910年に建てられ、かつては発電所だったエジソンバーでの撮影を決定しました。ほぼ100年の建築物で本当に素晴らしい建物でした。

 

私はこの撮影に撮影用バックプレート、絵コンテなど大量の器材を用意しました。 この時点ではキムは私が誰かを知らず、事務所は私や雑誌を嫌っているようでしたので、押し売りの準備は万端でした。

 

実際に撮影に入ると、キムは想像以上に一緒に働きやすく(どんなポーズにも対応してくれました) 、冷たい鉄板の上で横になって、腕を体の後ろで吊る撮影にも快く応じてくれました。彼女は本当に優しいモデルです。

 

これは舞台裏写真の撮影係をつける前の仕事でしたが、その中でも一番いい写真を紹介しようと思います。コリーとザック(チンピラとして知られています。この嬉しそうな表情を見てください)との照明やフィルムのテスト中の写真。エジソンバーは実際に使用可能で、雰囲気も最高な照明も数多くあり、私の中の映画監督魂はもう興奮してばかりでした。

 

2007年、12月にマガジンがリリースされた際には、少しレタッチし過ぎじゃないかという声も聞こえてきました。 でも実際は彼女の暗目の肌が照明といい具合にマッチしてしまっただけだったんです。後から考えると彼女の場合、あまり特殊な照明は使わず、ナチュラルな照明で撮影した方がよかった気もします。とは言っても、私はこのショットが大好きです。女性客からの反響も好評なため、Slickforce.comのウェブサイトでも今までで一番長くフロントページに掲載されることとなりました。

 

それ以上に、この撮影後もキムと私は連絡を取り合ったり、カーダシアンファミリー全体の撮影を何度かできたことにとても嬉しく思っています。キムが2009の夏にブロンドヘアーへと変更し、その後元のダークブラウンに戻す前にも撮影に呼ばれました。後にキムは自身のブログで、この時の写真を公開していますが、それがなんと私にとって初の TMZのネタになりました。笑 このショットに関してはまた後日詳しい投稿を行います。

 

Kim Kardashian

A dash of awesome.

Lighting & Exposure Tests:

In

2007年8月、マガジンワールドから2年半、私は美しい女性の撮影への評価を獲得してきました。その年、キム・カーダシアン以上に美しく、話題に溢れた美女はいませんでした。

 

Coexistenceマガジンとの短期間契約を交わしたとき、彼らのゴールは中東女性の素晴らしいパーソナリティをメジャーなメディアへ紹介するというもので、その 中でも一番の期待がキムでした。彼女はエンターテイメント産業で言う「IT美女」でした。友人の友人ではありますが、キムの親しい人に連絡を取ることに成功し、その後面会の許可が出たときには私の心は飛び跳ねていました。私は彼女を砂漠(サプライズ!)にでも連れて行きたかったのですが、彼女の事務所からそんなことはありえないとの連絡を受けました。近場で、簡単に終わらせるようにと案内されました。

 

ファッション雑誌Skid Row Princess でも行ったように、私は美しい女性と、美しくないもの、廃れた場所などのコントラストが大好きです。私はすぐに廃墟や、錆びれた建物でのモデル撮影を行える、そういった忘れられた地域に住むカメラマンたちを密かにうらやましがっていました。ロサンゼルスでは全てが、… …新しく、ボロボロです。私たちは最終的に、1910年に建てられ、かつては発電所だったエジソンバーでの撮影を決定しました。ほぼ100年の建築物で本当に素晴らしい建物でした。

 

私はこの撮影に撮影用バックプレート、絵コンテなど大量の器材を用意しました。 この時点ではキムは私が誰かを知らず、事務所は私や雑誌を嫌っているようでしたので、押し売りの準備は万端でした。

 

実際に撮影に入ると、キムは想像以上に一緒に働きやすく(どんなポーズにも対応してくれました) 、冷たい鉄板の上で横になって、腕を体の後ろで吊る撮影にも快く応じてくれました。彼女は本当に優しいモデルです。

 

これは舞台裏写真の撮影係をつける前の仕事でしたが、その中でも一番いい写真を紹介しようと思います。コリーとザック(チンピラとして知られています。この嬉しそうな表情を見てください)との照明やフィルムのテスト中の写真。エジソンバーは実際に使用可能で、雰囲気も最高な照明も数多くあり、私の中の映画監督魂はもう興奮してばかりでした。

 

2007年、12月にマガジンがリリースされた際には、少しレタッチし過ぎじゃないかという声も聞こえてきました。 でも実際は彼女の暗目の肌が照明といい具合にマッチしてしまっただけだったんです。後から考えると彼女の場合、あまり特殊な照明は使わず、ナチュラルな照明で撮影した方がよかった気もします。とは言っても、私はこのショットが大好きです。女性客からの反響も好評なため、Slickforce.comのウェブサイトでも今までで一番長くフロントページに掲載されることとなりました。

 

それ以上に、この撮影後もキムと私は連絡を取り合ったり、カーダシアンファミリー全体の撮影を何度かできたことにとても嬉しく思っています。キムが2009の夏にブロンドヘアーへと変更し、その後元のダークブラウンに戻す前にも撮影に呼ばれました。後にキムは自身のブログで、この時の写真を公開していますが、それがなんと私にとって初の TMZのネタになりました。笑 このショットに関してはまた後日詳しい投稿を行います。

 

Chris “The Birdman” Anderson enjoys his own half-time show in Rebel Ink

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If cheerleaders looked like this, I never would have left high school.

Production Shots:

私の男性撮影技術は本当に酷い。いや酷いとまでは言いすぎかもしれませんが、女性に比べると本当に難しいです。女性の場合、セクシー、純粋、スマート、カッコいい、可愛いなどルックスに合ったテーマを考えることができます。男性の場合はカッコいいしか選択肢はありません。そしてクリス・アンダーソン「バードマン」には間違いなくそのテーマが当てはまるでしょう。

 

レーベルインクマガジンへのクリス(とモデルディステニー・ダニエル左とエスサー・ハヌカ右)の撮影に対し、私と編集者はニルヴァーナのビデオ「Smells Like Teen Spirit」をイメージしたセットを作り出そうと話し合いました。そこで私たちは古いドラム缶やインターン生からバスケットゴールリングを貸してもらったり、床のコンクリートを濡らし背景を創り上げました。スタジオを経営する人なら誰でも、全ての角度、背景からの撮影にも時間をかけないよう、もう一つのスタジオが欲しいと感じるでしょう。でも今回出来はSlickforce誕生以来、最高の仕上がりでした。

 

クリスはもう最高にクールで、まあ彼の振る舞いがモデルたちの緊張もほぐしてくれます。どの雑誌にもあるように、マガジンにおいて、見開きのページは不可欠です。ですが、一度試してもらえればわかると思いますが、男性が見開きのページに見合うポーズなんてありません(試してみてください。寝転がってセクシーなポーズにでもしてみますか?) 。そのため、この3人のショットの仕上がり(上)を見たときには本当に驚きました。私の2009年の撮影の中でも一番です。私のスタジオにも飾ろうと思います。

 

 

このショットは2010年1月、レーベルインクから発売されます。しばらくお待ちを!

 

ビダ・ゲラ モデル復帰 アルティメイト・ グレイブヤード

Heres your Pep, boys.

Here’s your Pep, boys.

Production Shots:

ビダ・ゲラがモデル復帰するという連絡を受けたときには本当にワクワクしました。彼女は私が雑誌撮影を始めてから初めて撮影したモデルです。彼女との初仕事はNational Lampoon’s Dorm Daze 2のプロモーション撮影でした。2006年までは彼女と共に非常に忙しく仕事をしたものです。そのため、2007年、カンクンでのカレンダーの撮影(この撮影旅行はとても楽しいものでした。詳しくは今後紹介していきますが、少しだけ話すと、私はビダの父のことを一週間ほど間違って名前で呼んでいました)を終えた直後に引退を宣言したときには、私は本当に寂しい思いをしました。

 

撮影に関して話す際、私は常に自分の撮影だけに ならないよう、他のカメラマンによる撮影も話すよう心がけています。ビダのようなモデルの場合、男性達は彼女の美貌に魅され、即効で雑誌を購入します。そして、彼女の友人として考えると、カメラマンたちがビダに対して、本当に好きなものは彼女の笑顔と性格でしょう。もちろん彼女の体は美しく、それを綺麗に撮影することなんて容易いことです。でも私は今までの彼女にはないタイプでの撮影を行いたいと思いました。これはビダにとって、この2年の休息が初の撮影となるため、今までにない新しいものを撮ることを決めました。そう考えると、アルティメイト・グレイブヤード以上に適切なロケーションなんてないでしょう。

 

この2日間の撮影にて私たち全員、全力で取り掛かりました。私は55 チェビークリッパーとハンマー(オークションで500ドルで買いました。… …ハンマーじゃなくてクリップを。笑)を砂漠へと持ち込みました。私たちが持ち込んだ、レジャー用の車をふくめた5つの車体すべてが砂嵐によって砂漠から抜け出せなくなったため、私はトラックで、全てを牽引するはめに。ですがそんなこともあり、私のトラックに惚れ直すこともできました。

 

ビダはこのショットの出来に非常に喜んでくれました。 ファンのみなさんにも気に入ってもらえることを願っています。

 

(あと、舞台裏写真の中にはスタッフが本気で私を助けているところもあります。本当にSlickforce team大好き)

フェードバック:2007,06,29– スキッドロープリンセス

Skid Row Princess - Sitting Pretty

Where is there a f*cking Pinkberry around here?

2010年、よりアーティスティックな試みへと進み続けるため、過去の自分の仕事を振り返ることにしました。これは私の大好きなショットの1枚で、また私の初のファッション撮影の1枚でもあります。モデルはジェシカ・リカルディ。彼女は本当に素晴らしかったです。

 

これは私のアパートの裏の小汚い道路で撮影したものです。 そしてこれは天才衣装スタイリストダイアナ・チャンとの2回目の仕事でした。それからというもの彼女とはともに働き続けています。「スーパースター」と名づけられたこのショットには、過去最高のコメントが寄せられました。今わかるものではありませんが、私はこのショットはカラー、コミック、ブックスタイルの始まりとなるものだと信じています。

この撮影はこれまで行ってきたマガジン撮影とは大きく異なった、非常に面白いものでした。

 

 

フラッシュバック: 2008,10,23 – T.I. ペーパートレール @ Slickforce

T.I. and Daphne Joy - City lights

Yes, I am totally looking into your eyes.

2008年は Nas、The Game、 Birdman、 Omarion などのアーティストたちとの仕事が多くヒップホップな年でした。そのため、この年の10月にT.I. がSlickforceStudioに来たときには、もはや何でも来いと準備万端でした。「Whatever You Like」と「Live Your Life」がラジオから流れ、これ以上ない人気を誇っていました。アーティストの中には個性的な気質が強く、上手く関係を保てないこともありますが、T.I. に限ってはそんな心配は一切必要ありません。

 

T.I. は終始モデルたちとジョークを交わしていました。これも恐らくモデル達の緊張をほぐすため(最終的には下着姿のシーンもありました)でしょう。たまたまラジオから彼の曲が聞こえてきたときには、自ら歌を披露してくれたり、ビデオカメラに向かっておどけた姿も見せてくれました。スタイリストが彼に、明らかに彼の好みではないシャツを勧めた際、彼はそのスタイリストを見つめ、こう答えました「もし本当に私がこれを着る必要があるなら、私は着ます。でも正直言って嬉しくはありません」。この返事は前回同じ場面で暴言を吐き捨てたあるアーティストに見せてやりたい、素晴らしい返答でした。

 

 彼のような超有名人とは多くの時間を共にすることはできません。彼らは非常に密なスケジュールをこなしています。T.I.とはメイクアップ、スタイリングを含めた2時間しかありませんでした。ほとんどの雑誌の仕事と同様に、今回も雑誌の内容に合ったショットを撮影しなければなりませんでした。もちろんこのショットは私の最高傑作とまではいきませんが、みなさんがいつも目にする強さを感じさせる写真からは少し違ったものを作成しました。私は、彼にコーヒーカップを持たせ、ソファーの女性に失望したかのようにコーヒーをこぼすよう頼んだりもしました。なにはともあれ、このイメージが編集とマッチするのかどうかなんて分かりません。サイコロの目を見るようなものです。それでも私はT.I.とモデル、ダフィネ・ジョイと撮影ができ本当に幸せです。今思うと、もう少し彼をカメラの方に向ければよかったかなあとも思います。読者はダフィネの胸にばかり注目し、彼がT.I.だということに気付いてくれないかもしれません。

 

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